2018年2月14日水曜日

トヨタ86(2018 / NO1) クルマを考えるためには最適な1台


5年経っても86とは? 

  トヨタが総合自動車メーカーとしてラインナップのバランスをとっていく中で、キラーコンテンツと言える存在なのが86。ちょっと誤解を招くかもしれないですが、何がすごいって、乗用車でもスポーツカーでもない「86」という不思議な乗り物を21世紀になって作り上げてしまったこと。発売から5年以上が経過しますが、今もなお相当なモヤモヤ感を漂わせた神秘的なモデルのままです。

トヨタのクルマ作りの奥深さ
  豊田章男社長の肝いりで開発が始まったという経緯から、「社長がドリフトして遊ぶための特装車」とか言われたりしてますけど、実際に乗ってみるとこれが実に楽しい。もちろん運転しても楽しいけども、このクルマに乗ると、クラウン、ハリアー、プリウスなどのトヨタの定番の乗用車が、どれだけ緻密に音振(NVH)を考えて設計されているかがよくわかります。素のクルマってこんなに野暮なの・・・?


『異質』を詰め込んだパッケージ
  堅牢さを感じるボデーですが、気密性はあまりなくレクサスRCなどとはだいぶ雰囲気が違います。ピラーレスのドアもウインドーに特殊機能が内蔵されていて、ドアを閉めると隙間を埋めるようにウインドーが動きます。よって外部の音がストレートに入ってくる感じはしないのですが、やはり乗用車としては不思議な皮膚感覚が。古い欧州車に乗っている感じがする(狙い!?)。トヨタの乗用車はこんなにスースーはしないです。カローラなどの小型車でも、やはり何気ない内貼りの素材がとても大事なんだなと気がつきます。

ハンドリングも独特
  ボデーだけでなく、ステアリングの重さ、シフトレバーの感触からもトヨタの乗用車をの違いを強烈に感じます。レクサスなどトヨタのFR車は今ではかなりハンドルが重い部類に入ると思います。特に切り始めが重い。86のステアリングもそれに近いのですけども、切り始めてからトヨタらしい「遊び」があってからの、その先が一気にグイっといきますね。フロントサスの形状の違いだけでは説明できないギミック感が結構印象に残る。その感触こそが86と言っていいかも。鼻先が軽いのともちょっと違う気が・・・。

スポーツカーではない何か
  実際のところ「なんかよくわからない」というのがこのクルマの最大の魅力なのだと思います。スポーツカーはもう時代遅れですから。かつてのRX7やS2000のようにメーカーが持てる最高のユニットを載せて、軽量化やサス・ミッション・デフなどの形式によってパフォーマンスを最大限に引き上げるための設計を施したクルマの価値は、もちろん普遍ですけども、今ではそれを有り難がる人はちょっと減っているようなので、市場価値という意味では下落気味です。

ゆるーくスポーティなクルマが好きな日本
  それに対して、かつて日産が作っていたシルビア(S13型)は、エンジンも設計も全然「本気」出していないゆるーい設計だけれども、その分だけ手軽な価格設定がされていて、とてもよく売れていました。ピュアなFR機構のクルマとして、期待されて登場した86ですけども、バブル期に似たようなクルマはあったっけ!?これがありそうで意外に少ない。せいぜい出てくるのはシルビアくらいなもの。シルビア譲りの「ゆるーい」設計を施した86は戦略通りにS13シルビア的な売れ方をしたと思います。

スポーツカーでも乗用車でもない「86/シルビア」というジャンル
  シルビアもS15で最終的には自主規制ギリギリの280psモデルが登場しましたけども、最初はノンターボで楽しむデートカーくらいの企画でした。爆発的な売れ方をしたので、知り合いにも乗っていた人が複数いるわけですが、当時を振り返って口を揃えて楽しいって言っています。そしてその評価はRX7やS2000よりも高かったりします。RX7やS2000でしばしば囁かれるのは「速すぎる」というガチ評価。ひと昔前のホンダやマツダにありがちなシャシーよりもエンジンが勝っているクルマという意味もありますが、やっぱり軽量化&四輪DWBによる、ファジー感のないシビアなハンドリング挙動は、「ちょっと怖い」ってのが正直なところかも。

バブル期の日本メーカーは自由ではなかった
  トヨタが86の開発にあたってこだわったマーケティングのポイントは他にあるのかもしれないですが、86が売れた理由をあれこれ考えるのは結構楽しいです。バブル期にはアルシオーネ、ピアッツア、プレッソ、GTO、プレリュードなどなど、スポーツタイプと言われるモデルがありましたが、バブル期といえども、その多くはFF化が進む日本メーカーの開発事情によってその設計は大きく制限されていました。

FRスポーツをじっくり作り込むタイミングに恵まれなかった日本の自動車産業
  日本市場が成熟したバブル期においても、ほとんどの日本メーカーは業績を追うあまりに、満足なクルマ作りができなかったと言えます。1970年代から80年代に次々とFF化に舵を切った日本メーカーにとっては非常にタイミングが悪かった。まだまだ豊かという実感も乏しかったでしょうし、日本の自動車産業が世界をリードしているという驕りもなかったのかも。ただただ海外移転に直面して新しいグローバル戦略の要点を理解するのが精一杯ってのが本音だと思います。

カーガイ達の夢の続き
  1990年当時のポルシェの危機的な経営状況を考えれば、日本メーカーの判断は非常に常識的なものだったわけですが、その不条理を状況においても信念を捨てずに乗り越えたポルシェだからこそたどり着けた『高み』というものがありました。ポルシェの現在の名声を目の当たりにして、羨ましいと思う日本メーカーだからこそ、失われた時間を取り戻すかのように、古典的なFRという設計にこだわったクルマを作りたい衝動があるのかもしれません。そして生まれた86/BRZはメーカーの枠を超えて多くの開発者にとっての「理想」を形にしたものじゃないかと思うのです。


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